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  Vol.2 2005.7.8 - 2005.7.31

「鈴木実の人と表現」  我妻寿彦 (山形美術館 学芸員)

鈴木実が生まれた山形県高畠町は、宮城県と福島県の県境に隣接し、北に蔵王、南に吾妻、飯豊の連峰が巨大な壁のように迫る盆地である。目の前を広がる風光明媚な田畑の広がりを見れば、いったいなぜこの平穏な土地で生まれ育った人間が、心の深い部分をまさぐる木彫を作ったのか理解しにくい。しかし、一方でこの土地が持つ霊性、つまり東北で最初期の縄文遺跡を有し、他領への玄関口だった事実を考慮すれば、歴史と地域差という垂直と水平に向かうエネルギーの交差する場で、鈴木のような特殊な表現者が輩出されたことは奇妙ではない。

鈴木は早熟だった。言い換えれば、早い段階から自分と現実の事象や他者との間にある距離を置き、それらを観念的に分析する習慣を身に付けていた、と思う。そうなる要因には、芸術に深い理解を示し、多くの作家と交流があった進歩的な果樹農家の父の存在。少年の多感な時期を敗戦という価値観が大きく転換する時代で過ごしたこと。伝統的な因習の中で暮らす大家族のもとで、様々な死を傍らで見ながら成長したことなどが考えられる。

基本的に、鈴木は自らの表現意欲に身を任せ、感情が赴くまま造形にひた走るといったタイプではない。教えを受けた桜井祐一や新海竹蔵の影響もあるが、感覚において、ある種の洗練さを本質的に持っていた。そのことは、国画会で鈴木が注目され始めた1970年以降の一連の作品を見ればよく分かる。自分自身や妻、近しい人びとなどをモデルにしたラワン木の彫刻だが、写実的で達者な表現に、故意に鑿跡を消すことで木彫臭さが弱まり、いっそう人間同士のつながりに内在する疎外感が暗示されている。他者はおろか自己に対しても冷静に分析のメスを入れた、あたかも私小説のような作品である。

1985年『家族の肖像』で中原梯二郎賞を受けた頃から作風は変化した。鑿跡ははっきりと残り、造形は写実的再現から大きく離れるようになった。より率直に自らの心の様を形にするようになったと思われる。特に、妻を失った1998年以降、作品は荒れ、晩年には木が持つ生命感を荒削りな作品に託したものが多くなる。見方によっては、縄文人の正当な後継者にふさわしいありようとも、独自のシャーマン彫刻家という説明も可能かもしれない。

その当時、鈴木は白く残った頭髪を長く伸ばし、薄く無精髭を生やしていた。黒いティーシャツに黒いジーンズ。髑髏や十字架をかたどった大振りの銀のアクセサリーを首や手首や指に巻き、やはり銀のジッポーで細いメンソールの煙草に火を付け、煙と共に「死から生を見る」「マイナスの状態からプラスを考える」などの言葉を吐いた。決して饒舌ではない。今でも耳に残る、重い置賜弁のなまりを含んだ乾いた声は朴訥であるがゆえ人の心を打ち、異様な輝きを放つ眼光によって、存在を人の記憶に強く刻む。しかし、例えば「僕はモデルの体の中に入り込みたいのだ。入り込んで内側から彼女と一体になる」と語る熱い思いは、その言葉通り作品に反映されているだろうか。そうは思わない。残された作品は横溢した感情の産物ではなく、象徴化の過程を経て、多様な解釈が可能な「彫刻」として自立している。いかに作品が思い詰めた結果のように見えても、そこからは、自分をまるで他人のように眺めるもう一人の鈴木実のまなざしが感じられる。

鈴木は終始「人間が生きていることの不思議」を追求していた。「人間は何故生きるのかということの中に含まれる、否定と肯定との間を行ききのことしか興味がなかった」と述べる。人はみな孤独だ。幸せや愛や希望を心から求めながら、手に入れることができない。生きることに含まれる悲しみや淋しさや辛さはいったい何のための代償なのだろうか。程度の差こそあれ、鈴木が抱える問題は私の問題でもあり、あなたの問題でもある。鈴木には抱えるべき問題があり、伝えるすべは作品だった。

鈴木は長年暮らした取手市の芸術普及活動に尽力した。亡くなる直前は「とりで美術ピラミッド」の会長に就任し、多くの取手在住の作家と交流した。また「取手アートプロジェクト」の活動にも積極的に参加。理想に厳しい反面、鈴木が持つ柔らかく飄々とした魅力は、人と人を結びつけるうえで格好の潤滑剤として働いたのだろう。取手での生活を鈴木は愛していた。しかし、同時に「山形に家を買いたい」ともよく言っていた。「盆地で生まれ育ったせいか、最近なぜか視界に山がないのが淋しい」。結局山形に戻ることはなかったが、今ではそれで良かったのかもしれない、と思う。鈴木が暮らした家の庭を少し掘ると、この高台は利根川がもたらした、細かい砂で形成されていることが分かる。鈴木が抱え込んだ、重い水分のような悲しみは、このさらりとした土によって、ようやく地中深く沈めることができたと思えるからだ。

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