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Vol.3 2005.8.12 - 2005.8.28

「カオスの縁」を知覚する 及位友美(東京芸術大学 助手)

見えるものを見えるものたらしめているのは、見えないものの存在である。人間の知覚では感知し得ない不可視の存在によって、可視域は決定される。例えば「通常よりほんの少し可視域がずれているか感度が高い人ならば、幽霊のような『異界のもの』を視覚で捉えられるのではないか」、と粟野ユミトは言う。

粟野は、人間の知覚に迫る作品を生み出してきた美術家である。ある固有の場所にこだわって、その環境や自然と呼応するようにして生み出される表現には、有機的な要素と無機的な装置が同居する。しかし粟野にとって、作品が「装置」のような外観をしていることは必ずしも目的ではなく、装置をインターフェイスとして、人間の知覚を差延することが狙いであるといえる。代表作の[ Lucies ]シリーズは、ストローを束にして覗くと風景が湾曲して見える、「視」のゆらぎを体験させる作品だ。子どもに人気のワークショップも、このゆらぎへの共感を遊びに盛り込んでいる。

 「気づきの閾値(しきち・臨界点)の微細さを問い、知覚する対象世界を拡張すること。そうして得る洞察によって、世界は変化する」。と粟野は語る。美術家としての方向性を決定づける作品となったのが、第二回岡本太郎記念現代芸術大賞で準大賞を受賞した [閾](しき)シリーズだ。このシリーズでは角砂糖を加工して屋外に設置し、天候や風土によって変化する環境、そのめぐり合わせに影響を受けて変容する様を見せることで、知覚が捉えられる対象範囲の拡張を試みている。角砂糖の塊は徐々に溶けて崩れてゆき、最後には土の中に成分として溶け込み見えなくなってしまう。しかしそこに角砂糖があったという「気配」は、土の上の染みや、虫や微生物の去来など様々な形で刻印され、私たちはそれをよりしろとして、見えなくなった砂糖の存在をイメージするのである。

小学校の理科の時間に、こんな実験をした記憶はないだろうか。ビーカーの中に水を入れ砂糖を溶かすと、その水溶液の重さは溶かす前の水と砂糖の重さに同じであり、質量は変わらない。固体としての砂糖が見えなくなったとしても、砂糖そのものは存在しているのだ。人間の知覚の臨界を超え、その先に広がる世界に近づくように、作品はある契機を生み出している。色彩学の研究者としても活動し、科学的な視点をもって制作にあたる粟野の作品は、いつも知覚の「閾」(しき)、可視/不可視の領域間のゆらぎを実証的な手法で抽出する。

そんな粟野の近作[ temperament ]は、大きなアルミの円盤と、二本の円筒、そしてモーターや水を蓄えるタンク等の精密機械を素材としており、一見したところメカニカルな「装置」である。水蒸気と風を発生させ、水蒸気が風にゆらめき変容する運動にLED(発光ダイオード)の光を照射し、その影を壁面に顕在化させる仕組みだ。水は超音波によって水蒸気へと気化され、白い雲が生成するようにもやもやとわき起こり、風とぶつかりあう。ここでは、観る人の呼吸やその場の空気の対流も風を起こす一要素となる。作品はこうして取り込まれた多くの要素が相互に連関して全体を構成し、一つの有機体としての様相を呈する。無機的な装置から生み出される水蒸気や風の運動は、有機的な振る舞いを見せ、自然界のシステムを模倣するかのようだ。

一方で、タイトル[ temperament ]に「微妙なバランス」という意味合いを込める粟野は、空気、水蒸気、風の三態が衝突し不断に循環する様を「複雑系」として捉えている。循環や衝突はモーターや精密機械により一定の規則に従って発生するが、そこでは瞬間的な衝突の些細な要因が大きな誤差に発展し、不規則で複雑な振る舞い=カオスを引き起こしているように見える。壁に映し出される不定形な影は、無秩序にうごめく。カオスの中には動と静が微妙なバランスに調整された領域、「カオスの縁」があり、生命の起源はこれを自然に獲得したことにあると複雑系の理論では言われている。[temperament ]に込められた「微妙なバランス」とは、この「カオスの縁」で調整されるバランスに似ている。自然界と同様に、私たち人間の生活もまた日々移り変わってゆく様々な要因の中で、バランスを取っているのだろう。見えるもの/見えないもの、主観/客観、自己/他者など相反する事象間の絶えざる交換、「キアスム」(メルロ=ポンティ)によって、私たちは世界を知覚する術をもつ。

ほんの少しの視点の転換によって、「見えるもの」と隣り合わせにある「見えないもの」を認識することが出来る、粟野ユミトの作品はそう呼びかけているのではないだろうか。

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