TAP2006 Satellite Gallery 取手アートプロジェクトサテライトギャラリー
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Vol.4 2005.9.9 - 2005.9.25

「満ちてくる鏡」 - 北川貴好さんの「部屋(ウチ)の輪郭」
船曳建夫
 (東京大学教授・文化人類学)

 入るとそこにウチが置いてあります。建っているのではなく、こちらから訪ね当てたのではなく、ウチの方から、そこにいたのです。  どうしたんだろう、という好奇心を誘うように、暗い壁にはたくさんの穴が空いていて、中がぼんやりと透けて見えます。ところが、覗いてみようと穴に眼を付けると、案外、中ははっきりせず、向かいの壁が透けて、もう一つ向こうの空間が浮かび上がります。そもそもこのウチにはドアがない。一周すると、細い隙間が見つかるのですが、からだを滑り込まそうとすると、残念でした、という具合に、狭くて無理なことが分かります。  そこでもう一度始めに戻って、置いてあるウチをみると、奥の方が明るかったのに気が付きます。しかし明るいそこからは壁に光が反射して、ウチは一つの固まりになってしまう。横に回って左手に明るい部屋を、右手に暗い部屋を配した位置に立つと、ようやく、このウチ全体を掴む場所が分かった気がします。暗い入り口から明るい方へと、ウチに流れがあるのです。  ちょっと目をこらして内部探索を再び始めると、床はフローリングになっているらしい。ベッドがあって、椅子があって、しかし、椅子にも穴が空いていて、光が透き通っていく仕組みになっている。ゆっくりと周りながら探索を続けると、最初は気が付かなかった洗面台と、鏡が見えます。なるほどウチとして一応みんな整っている。しかし、普通のサイズより小さいような、これで人間が住むには十分のような、そして何よりも、そうしたことを確かめることを拒むように、このウチは、離れると見えてきますが、近づくと訳が分からなくなります。  もとよりウチにはソトがあります。「ウチとソト」による世界の二分法は、空間も切り離しますが、人間関係も排他的に分離します。ウチの人とは親しく、ソトの人には冷たい。だから内側に人を入れない北川さんのウチは、見る人全てをソトの人にしてしまう、と言えます。誰もいないウチをぐるぐる回って、私たちはソトの人、ヨソ者と言われていることになります。悲しいと言えば悲しい。しかし、よく考えるとこの悲しさはもう少し複雑な構造を持っています。  北川さんは「部屋」という言葉にウチ、とルビを振っています。ウチは「家」ではなくて、「部屋」なのです。ということは、私たちは入り口の幕をくぐったときに家の中に入り、家の中にある部屋の周りをぐるぐると回って、あれこれ考えているらしいのです。悲しいのは、私たちはウチ(家)の人なのに、入れてもらえないさらなるウチ(部屋)があること、これが表すのは現代の家族の中の不和、亀裂、崩壊・・・  いや、それではあまりに社会科学者の妄想が過ぎるかも知れません。北川さんのこれまでの作品に、やはり家の壁全体にたくさんの穴を空けたものがあります。それは、家が、内からの明かりと、外からの光によって双方に開かれている様子を見せていました。今回の作品でも、隙間から忍び入ろうとする人、穴から中を覗いてやろう、とする人にはやんわりと拒むようでありながら、少し離れてウチ(部屋)全体の「輪郭」を一つのものとして眼に収めようとする人には、その内部を柔らかな光に満ちた、自在な空間として受け入れます。  家が、部屋が、無いもののようにしてそこに在ること、それが北川さんの作っているものです。ウチの中にしつらえられた洗面台やベッドは、私たちの暮らしを示してはいますが、使われた痕跡はありません。このウチには、「暮らし」より前に「生きる」ことが、いや、その前に私たち自身がそこに「在る」ことが強く示されています。  入り口の幕を開けると、彩りのない、声のない空間がそこにいます。借りたばかりのアパートの部屋に始めて足を踏み入れたときと同じように、五感を澄ませば、これからそこに立ち上がる色と音とが、「暮らし」の痕跡としてではなく、未来の私たちの在り方としてウチの輪郭の中に満ちてきます。まるで立体の鏡のように。


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