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Vol.4 2005.9.9 - 2005.9.25

「記憶のポリフォニー」   脇本厚司(美術史家)

魂には[…]魂を喜ばした愛情を思い出させなければならない。
     (ジャン=ジャック・ルソー『書簡集』小林善彦訳)
 
田中詩子は、他者の記憶とナラティヴを制作の起点とし、記憶の検証とは異なる手法によって、自らの興味の所在を表現しようとする。
その興味とは、われわれが持つ時間という観念の在り方、回想によってもたらされる持続の感覚、自己と他者という隔てられた存在間にあっても通底する感情的記憶の結晶化に対する可能性である。

それは『貝ボタンとしんばらし』(2005)において、近しい者の親族に対するインタビューの書き起こしから、砂鉄によって床面に視覚化された彼(女)らの言葉と、物語られる内容からイメージして制作されたオブジェによるインスタレーションとなって現れた。半年あまりを経た今回の『肖像画の声』(2005)は、ある故人の妻、娘、孫の三者に対してなされた故人にまつわるインタビューと、彼(女)らの物語を聞きながら木炭と鉛筆で板に描かれる故人の肖像、および書き起こされた言葉の田中自身による朗読[音]よって構成されている。

田中にとってのインタビュー[Inter - View]は、ベクトルの向きと大きさが等価であるような双方向的な意味合いをより強く含んでいる。他者の発話を自己の内なる声と対話させ、他者という存在への想像と感情を介した移入によって創造される新しい何かにどうにかして触れようとし、その手応えを模索し、語り尽くすことの出来ない彼らとの断絶すらも、乗り越えようとする。
板への描画行為は、当人の記憶と描かれた肖像の肖似性とが完結的に一致した時点で終了するのだが、記憶された肖像との対面は、まさに技術のみではなされない田中の真摯で真剣な描出によってもたらされる。その肖似性が語られるのは、描かれた対象と時を共有した者の記憶においてのみであるが、そこで表現されているのは、肖像に対するそれぞれの行為の関係性、現在化された過去である。
感情的記憶の奇跡によって、持続が現在の瞬間の中に蘇る。「現在」を他のいくつもの瞬間と重ね合わせることによって、重層性のある持続の感覚が現出される。また、実在感を携えた関係性のうちに育まれてきた過去を、現在のうちに蘇らせる。過去とは、現在の生に、リアリティの時間的な厚みをもたらすものであり、かつて経験した過去を、再構成し純化してもたらされた結晶である。
タイトルともなっている肖像画の「声」。それは、記憶から再構成され描かれた肖像その人の声であり、その発語は彼の妻、娘、そして孫の声を交えて発せられる。更に田中の朗読によって現前し、われわれの耳で知覚された声は、板の上に肖像となって再現される。見る者の声をも包含したポリフォニー、それがこの作品のタイトル「声」の正体である。不可逆性を孕んだ時間を経験しつつ、その観念と矛盾しながらも我々の中に含まれている時間の反復性を想う時、不可逆性を免れ得ない人生の時間に対し、原初の感懐を抱かざるを得ない。
重要なのは正確な記憶ではなく、記憶によって再構成され、さらには純化された時を物語る「回想」という行為だ。ここで語られる物語は、ある個体の記憶から発されつつも、聴く者は自己の記憶との対話を余儀なくされる。「記憶によって再構成されたリアリティ」が奏でる声によるポリフォニーと、我々の内から発せられる声との対話。そこには過去が現在し続け、確かな感情的記憶が結晶化する。
美術によって、自己に沈潜する他者との繋がりを模索し明確化しようとする行為。果たしてそれは幻想的な戯れだと言えようか。決して個体内や個体間のみで完結してしまうことのない試みとして捉えるならば、そうした行為から見出される意義は大きい。
戦争を痛烈に経験した世代を中心に据えて田中が熱心にインタビューを試みるのも、持続する時の実感を軸に、他者へのはたらきかけからもたらされる表現を己の責務とし、果たさんがためであるように感じられる。


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