Vol.6 2005.11.12 - 2005.12.11
「面白うて、やがて切なき…」 小泉晋弥(茨城大学教授)
島田の彫刻を、二十世紀彫刻の系譜において説明することは間違いではなかったか。例えば、表面を造りながら内部の空間をも見せてしまう点で構成主義的であり、犬の甲冑という奇妙なアイデアやミミズのようなバイオモルフィックな形態ではシュルレアリスムに通じ…などと、一応の説明はつく。しかし、現代 彫刻から何か決定的にはみ出した部分があることに気付くと、見続けるにつれてそれがオリのように溜まってくる。
今回、当初二人の個展かと勘違いしたほど全く異なる作風の会場を行きつ戻りつしたおかげで、それが一種の切なさの感覚に似ていることが分かった。それは形あるものはいつかは滅びるのだと、ある日実感してしまった少年時代の切なさに似ている。少し哲学的に言うと、存在とはその内側に空虚を抱えた被膜の ようなものであると分かってしまう感覚なのだ。東洋哲学の合言葉のような「色即是空」をそのまま実体化してしまうというところに島田の彫刻の本質があったのかもしれない。そう考えついた時、その初期の砂の城のような作品から、自動車のボディに植物が繁茂するエコロジカルな作品、島田が中心となって実現したTAP2002「舟プロジェクト」での「舟橋」、そして犬の甲冑…と一貫した筋として彼の作品群が浮かび上がってきた。
新作《伝えたいのに届かない》を見た時に感じた切なさもまた異様なものだった。意外な連想かも知れないが、この夏、日本海沿岸から瀬戸内海まで大量発生した「越前クラゲ」騒動が浮かび上がってきたのだ。
もともと越前の海でよく見られていたからその名前がついたらしいが、ここ2、3年の増え方は異常だったようだ。筆者がショックを受けたのは、漁網に絡まって大量に水揚げされるクラゲの映像ではなかった。甚大な漁業被害の対策として、水産庁がクラゲを処理する実験を行なっている様子が報道されたのだ が、それが鋭いワイヤー製の網を海中で引き回して、クラゲをズタズタに切り裂くという「トコロテン方式」とでも呼びたくなる原理の処理機だったのだ。
《伝えたいのに届かない》から、その越前クラゲ処理の映像がよみがえってきた。角張った筒状の形態が、ミミズのような動きをする様子から、トコロテンが動いているような印象を受けたのだ。数匹(本?)が群れる真ん中には、ニットのキャップのような形と輪切りの筒が、二つに切断されたように転がってい る。その縁から伸びるワイヤーは触手というよりも切断されたクラゲの足にも見える。彼らは何を伝えたいのだろう。そしてどこに届かないのだろう。
一説では、クラゲは海の掃除屋としての仕事もあるらしいし、ミミズは言うに及ばず、ムカデやゴカイなどの一見して毒々しい姿の虫も実は、自然のサイクルの中では最終処理に近い場所で有機物分解機能に貢献している。それを都合で大量殺戮する人間社会に、彼らの言葉は伝わることはない。そう解釈したらう がち過ぎだろうか。
島田は、芸術の仕事を見えないものを見せることだというが、彼は真実を暴露するような刺激的な見せ方はとらない。四角の胴の継ぎ目に関節のような球形を挟み込んだり、またがりあう胴体が積み木の橋のようだったり、楽しげでユーモラスな形が展開しているのだ。だが、黒々とした胴体と、ほつれた切断面を 見せて、中空に張り出している触手のような、届かない断末魔の声のようなワイヤーを見る時、その面白さの高みから切なさの底への落下の加速度は増していくのだ。
後日談;作者本人は、スルメをあぶる様子からこの作品を構想したのだという。
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