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Vol.9 2006.4.21 - 2006.5.14

「指先に咲いた花のゆくえ」  山本雅美(東京都現代美術館 学芸員)

澤登恭子の作品をはじめて見たのは2002年に現代美術製作所で行われたグループ展*のときだった。そこに出品されていたのは《献花−花を産む》だった。この作品は、本物のゆりの花が敷きつめられている展示室で、若い女性が口からゆりの花を産み出す姿を映したビデオを上映したものである。聖書に依拠しながら、永遠の処女である聖母マリアをごく普通の女性が演じるという、この作品にこめられた批評精神に、私は大きな衝撃を受けた。これが彼女の作品との出会いだった。
 澤登は2000年の修了制作の作品《Honey, Beauty and Tasty》から一貫して自らの身体をつかった作品を手がけている。《Honey, Beauty and Tasty》はパフォーマンスだが、他の作品はビデオもしくはビデオインスタレーションの形で発表されている。たとえば、《Honey, Beauty and Tasty》は、回転するLPレコードに点滴容器から蜂蜜を滴らせ、パフォーマーはそれを舐め続けるという作品であり、《I eat a peach》(2003年)は、明るい陽光が射し込むダイニングで、パフォーマーが手を使わずに物を食べ続ける様子を撮影したビデオ作品である。蜂蜜をなめたり、手を使わず桃を食べたりと、子供の無邪気ないたずらを思わせるその姿は、見方によっては非常にエロティックな行為にも見え、鑑賞者を戸惑わせる。ただこの鑑賞者が感じる気持ちは見る側の問題なのだ。澤登は作品を通して、見られる者=アーティスト=女性が見る者=鑑賞者=男性を挑発し、その視線に気づかせ、覆そうとしている。見る者/見られる者という男女の関係に潜む力関係に着目し、本来受身である見られる者自身によって視線/関係をコントロールしていこうとする試みは、ジェンダーを扱うアーティストが取り組んできたテーマである。その挑発的な態度は、美しい映像によって、説得力をもって表現されていた。
しかし、2005年に発表した《release》はこれまでの作品と一線を画するものといえるだろう。この作品は脈絡のない2つの画面から始まる。ウエディングドレス姿の女性が走り去ることによってカーテンがひっぱられ、切れる瞬間にそれが女性のベールにつながっていたことに気がつく。カーテンによって「家」(家父長制における家)につながれていた女性が、それを振り切って自由を得る。注目したいのは、この作品では女性はつねにうしろ姿によってあらわされていることである。その姿を見る限り女性がアーティスト本人である必要はない。この作品について澤登は「自分自身が演じる必要がなくなってきた」と話している。ここでは、見る者を挑発する姿は影をひそめ、自身が求める新しい世界に飛び立つ姿が描かれている。
 今回発表した作品《指先に咲く花》は、2003年に発表した《散華》シリーズのひとつである。ただ《散華》が死者への弔いをテーマにしていたのとは違い、今回の作品はむしろ《release》に引き続き、澤登の現在のありようをよく伝えるものになっている。5分のビデオ作品は、バスタブに浮かぶ女性の全身像からはじまる。女性がバスタブに白いドレスを着たまま入り、大きな蝋燭を浮かべ、その火を恍惚とした表情で眺めている。思いかけず女性のプライベートな場面に入り込んでしまったような始まりは、見る者を挑発する装置として機能している。しかし、そのあとの指で花びらをつくる様子を映した場面は一転して不安な、繊細な映像になる。女性は蝋燭の火の中に指を入れて花びらをつくっていく。その姿は痛みを伴いながらも何かを産み出す行為のように見える。そして、産み出されたピンク色の破片は花びらのようにも、女性の指先から剥がれ落ちた爪のようにも、女性の身体から産み出された何かのようにも見える。ビデオを上映している展示室には、おびただしい数の蝋でできた花びらが敷きつめられている。女性の行為の痕跡のようなそれらは、見る者に彼女の痛みを突きつけるようである。産む性としての女性であること、そして新しい表現をうみだす者としてのアーティストであること。その手探りの行為に対する不安や感情の揺らぎを、この作品は示しているのではないか。この作品によって、澤登は、男性の視線にあらがい挑発する女性像から、女性そのものを表現しようとしているのではないだろうか。
私は以前から、フェミニズムやジェンダー批評以降、女性がいかに女性自身を表現することができるのだろうかという疑問をもっていた。今回の作品はその疑問に対する答えの一端を見せてくれたような気がする。「今回の作品は自分自身が求める表現の世界に忠実になり、それを掘り下げることに集中した」と澤登は話す。この始められたばかりの試みが今後どのように展開していくのか。そしてその先にはどのような世界が広がっているのか。私はそれを同じ時代を生きるものとして見続けていきたいと思う。

* 2002年 「ARCUS東京展」(現代美術製作所)



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