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「あしたの郊外 –Post Suburbia−」キックオフ・シンポジウム  イベントレポート Vol.2

終了しました 2014/11/25


 

ashitanokougai

2014年10月20日。横浜BankART NYKにて、取手アートプロジェクトと Open Aの新プロジェクト「あしたの郊外」のキックオフ・シンポジウムを開催しました。

さまざまな郊外観が飛び交った、当日の様子をレポートしています。

 

<<<Vol.1「あしたの郊外」のはじまり

「あしたの郊外 -Post Suburbia-」キックオフ・シンポジウム

プロジェクトのはじまり、コンセプトが熱く語られた後は、取手アートプロジェクト実施副本部長の森司がファシリテーターとなり「郊外を考える人」からのプラン提案へ。

経験という物件

目の2人は、取手で暮らしたことがある。実際に郊外で生活した経験も活かされたであろう2人からのプランは、コンセプトの紹介からはじまった。

<荒神>
今こうしてみなさん座っていますけど、移動してきています。ここに。

なぜなら、みなさんは家があるからです。固定された家がそこにあるから会社まで移動して、このシンポジウムが終わったら電車に乗って、また移動して帰っていく。この移動というものは、家が固定されてそこにあるから生じることです。

その家というものはなんだろうって考えてみると、めちゃくちゃある意味簡単にできていて。広い大地があって。そこに柱が立っていて、壁をつけて、仕切りをつけることで「家」と呼んで、自分たちはそこに安心して暮らしています。でもその概念って、変えられるんじゃないかって思っています。

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都心や郊外というものはそういう、人が豊かな暮らしみたいなものを求めて移動してきた結果、出てきたのかなと思うんです。そんな動かない家から、私たちが移動しないというか。家の中にずっと住んでいるっていう概念を、その動かない家から抜き取って、すごく解放された意識になるっていうことを試してみてはどうかって思いました。私たちが提案する新しい住まいっていうのは、豊かな暮らしを求めて移動する経験の中にある、というようなプランです。

タイトルは「TRANS LIFER」といいます。

TRANSLIFERサムネイル1

<南川>
そもそも「豊かな暮らし」とはなんでしょう。

例えば、都心で暮らしている人が「豊かな暮らし」で画像検索をしたらたくさん出てくるような、ツリーハウスに住もうとする。僕も一度はいいなって思ったことがあります。

もし、実現するには会社辞めて、退職金もらって、それを全部つぎ込んで。畑でも耕して生きていく。豊かな暮らしって多くの人がイメージしているものを実現するには、それくらいのリスクがあるものかもしれない。あるいは宝くじ当たったらできるとか。

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豊かな暮らしを本当に手に入れるべく全部なげうったとします。けれど、もし思ったより虫がいっぱい出てきたりして「あれ?これ、あんまりじゃん」ってがっかりすることなんて想像した日にはもう、豊かな暮らしなんて言っていられない、もう豊かな暮らしどころではないですよね。(笑)僕たちは豊かな暮らしを手にいれられるのでしょうか。

果たして豊かな暮らしってなんなのか。そういうこと考え直すような物件。そういう意識みたいな物件があったらいいんじゃないかと思って、この「TRANS LIFER」を提案します。

物件はこちらです。

トランスライファー1

>>>プラン詳細は「あしたの郊外」ウェブサイトで公開中

 

<森>
ありがとうございました。住まうことをプロジェクトにしたようなプランをいただきました。

<馬場>
取手アート不動産にはこういう物件が並ぶのかと思うと、けっこう気が遠くなりそうですね(笑)。僕らはどうしても物件といえば空間だし、固定されているものだとばかり思っていたけれど、物件って経験でもいいんだ。枠組みが変わると、その定義さえ揺らいでいくということに戸惑っています。

 

究極の「ベッドタウン」

続いて栗栖氏からのプレゼンテーション。自己紹介では、ご自身のことを「無職であり、無色透明な存在」だと話す。さまざまな人をつなぎながら、新しい価値・体験を生み出すのが栗栖さんの仕事だ。

<栗栖>
最初に「郊外」と聞いて、郊外に縁のない私が考えたのが「すごく特徴がないな」ということでした。画一化されていて、個性がない。そこをワクワクするような街にしようとなったら、それぞれ1つ、キーワード的な個性をあたえてしまえばいいんじゃないか、と考えたんです。

第1弾となる取手という郊外に、私が勝手に与えたテーマというのが「眠り」です。

「眠り」というものをテーマに、取手という街をつくってみたら。「あたらしい郊外」を考えてみたらどうだろうと思いました。先ほどから「ベッドタウン」という言葉が何回もでてくるんです。つまりみんな寝に帰っているんだと。

それであれば、例えば「取手の街は最高な眠りを提供する街です」といってしまって、眠りに注力してしまえばいいのではないかと思いました。疲れた人が取手に行って寝れば元気になるとか。もちろん住んでいる人は、眠りが充実しているから充実した人生を送れる。そういう「眠り」というものに力を注ぐと。

タイトルは「Good Sleep Factory」です。

あしたの郊外_kris 4

>>>プラン詳細は「あしたの郊外」ウェブサイトで公開中

おそらく私はプロデュースチームに入ります。そこには提携企業や専門家、アーティストやデザイナーなどのクリエイターがいます。重要なのはそこを経営したい個人や企業を募集することです。小さい規模からでもいいので、やりたい人を募る。その中で地元雇用も生まれます。住んでいる方々が、Good Sleep Factoryというプラットフォームで生み出されたものを展開していく。たとえば、よく眠れる“食”っていうのを広げる活動だったり、エクササイズを広める活動がはじまる。またよい眠りを求めて取手市以外のところから来る人がいるのではないかと思われるので、そういった交流人口的なものを増やすことにもなります。

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<森>
ストレートにきましたね。ベッドタウンだから豊かな眠り。

<馬場>
さっき「ベッドタウンという単語に悲しい響きがある」っていった自分が恥ずかしい。ベッドタウンというのが、いきなりエレガントな響きに聞こえてきた。確かに日本中の郊外が手を上げそうな企画なんじゃないでしょうか。「あしたの郊外」プロジェクトの中の、グッドスリープファクトリーに参加するアーティストをさらに求めるわけですよね。

<栗栖>
そうですね。私はアートに関心がない人とアートをつなぐのが私の立場だと思っているので、これの受け手はアートに関心のない人。アーティストはその間にいるメディアみたいな存在だと思います。<馬場>
確かに人間人生4分の1は寝ていますからね。

<栗栖>
目のプランともリンクして、一緒にできることがあるんじゃないかなと思いました。

 

「あしたの郊外」のまえに、「きのうの郊外」はあるのだろうか

「ちょっとしんどくなるかもしれないけど、ちょっと正直なところでお話ししたいと思いますね。」2組のプラン提案ののちのステイトメントの発表。池田氏はそう前置きをした上で、話し始める。

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<池田>
僕はアートを手段としてやるのではなく、目的としてやる人と仕事をしたいと思っています。僕の立ち位置がそうだということを、まず宣言をしておきます。

「あしたの郊外」っていう話を聞いた時に「うーん」と思ってしまったんです。それに対して団地とか、郊外について僕が思ってることを読んでみます。

>>>ステイトメントは「あしたの郊外」ウェブサイトで公開中

暗い話です。大きすぎる問題。解きようもない問題が構造的に生まれている。

高度成長期に人を支えるためにつくってきたものが、そういう将来を迎えることはわかっていたはずだし、綻びが何度か見えていた。ここにきて非常に大きな問題になりつつある。これは予想ですけど、2、3年経つと餓死がいっぱい出たとか、連続自殺だとか、さらにいろいろな問題が出てくると思います。今の年金問題どころじゃない。住むことの話なので。

この中でなにがやれるか。どうむかっていくのか。そう簡単に手を出しても、というのも正直なところですね。

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<馬場>
僕の感覚は、最初の2組のプレゼンテーションより確実に池田さん側です。建築やってると暗いんですかね。

<森>
建築の人は1分の1、リアルな世界にいるから、そこの重力が大きいのではないでしょうか。暗いんじゃなくて、リアルなんですよ。

<馬場>
背景とか、アートは目的であるっていう池田さんの言葉はぐさっと刺さります。僕も無責任なことはしたくないとは思っています。そうなってくると「社会問題としての郊外」と「美しい思い出、ふるさととしての郊外」はものすごくアンビバレンスな2つの提示だと思うんです。

池田さんが語ってくれた郊外の出来事も、ある種そこから逃げたくて東京の都心のど真ん中に出てきている自分自身もいるわけで。心地よい雑踏の中にいる。ただ間違いなく池田さんが予見するように、今から郊外は否応なく取捨選択の時代がやってきて、廃墟化していく場所がでてくるのは構造的に避けられないと思うんですよね。

それに対して僕らは争うのか、受け入れるのか。そのスタンスさえはっきりしていない。淡々と、滅びるよね、というのは簡単だけど、そんなことをいっていいのかとも思ったりする。その戸惑いの中にいることは、池田さんと感覚を共有するところで。だからこそ、あえて能天気に「あしたの郊外」っていってみようと思ったところはあるんです。そこがある種スタートラインで、振れ幅自体がこのプロジェクトの意味かなと考えながら、池田さんの話を聞いてみませんか。

 

<<<Vol.1「あしたの郊外」のはじまり

Vol.3 さまざまな「郊外」観>>>

撮影:西野正将

「あしたの郊外」公募スタート

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「あしたの郊外」をつくる、プランを募集しています。

美術、建築から身体表現、コミュニティデザインほか、提案のジャンルは問いません。
さまざまな角度からあしたの郊外の可能性を模索する、参加者・共創者を募ります。

公募受付期間:2014年10月20日(月)〜2015年1月31日(土)
応募するタイミングが早いほど「郊外を考える人」をはじめとする方々から、コメントが寄せられる確立が高くなります。
詳しくは「あしたの郊外」ウェブサイトよりご確認ください。

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