半農半芸 - TAKASU HOUSE
終了しました 2011/11/26
さんまを食べなきゃ さんまは語れない
〜食べつつ話しつつ呑みつつ考えつつな会
*三間(さんま)とは「時間」「空間」「人間」の三つの間の意
[文責:風間勇助]
イントロダクション
風間:「いやぁ〜、岩間さん。僕らはこの数ヶ月何をしてきたんですかね…。地道に僕らなりに考えたイベントを重ねながらも、実は僕ら半農半芸メンバーの中に起きているある葛藤や思いやらは全く外には発信できていませんし…」
岩間:「本当に大切なことは目に見えないんだよ…」
風間:「なんですかそれぇ?サン=テグジュペリ?(笑) そうは言っても…」
岩間:「とりあえず秋刀魚食べなよ。」
風間:「これ熱いですか?僕猫舌なので…」
岩間:「口に入れてみないとわかんないよね。風間君にとって本当に大切な”熱さ”というものすら目に見えないんだね(笑)」
風間:「なるほど…?言うほど深くないですよ(笑) そもそも星の王子様なんて岩間さん似合わないし(笑)でも、500坪という大地についても同じで、ネット上で当然情報を載せなきゃというある責任を感じながらも、そこで感じる何かって、やっぱ来てみないとわかんない。来てみたってわかんないかもしれない厄介な目に見えないものを相手にしてる気もしますけど(笑) ネットを介して見る情報なんて…」
岩間:「うん、 とりあえず食べなって。」
風間:「秋刀魚ですら食べなきゃ何も—熱さについてもおいしさについても好きも嫌いも—語れないんだから、大地と向き合ってみないと半農半芸は、三間は語れないってことでいいんですかね…」
岩間:「だから食べなって(笑)」
風間:「わかりましたよ、食べますよ・・・熱っ!!」
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①岩間さんが半農半芸に関わり始めた時の違和感
岩間さん
「研究会NO.01がこの3.11があってまだ経済というか、生産のことを基軸に考えていてそれはどうかと思った。」「研究会のゲストが(椿昇氏、市村作知雄氏)がわりと近場の人選をしていたのは残念かな…」
半農半芸の今年度のスタートが大幅に遅れながらも、なんとか企画を作り広報まで早急に対応せねばならなかった時に、もちろんお呼びしたいゲストであった方々であったが、実際には連絡が取りやすいという範囲から選んだことは記憶にある。また、当初、市村作知雄先生による日本独自の文化政策モデルということに私自身目がいき、時代の震災以後という流れは研究会の中にあまりとりこめていなかったかな、という反省はある(第一回研究会の最初の方のお客さんの反応を思い出すと…)。ゲストは決まっていても、連絡が取りやすいゲストであったからこそ、そうした文脈の対応などできたかもしれません。(皆無だったとは思わないが…)
ただ、研究会の中で聴くことができた内容は決して無駄ではなかったし、きちっとアーカイブをつくるべきだとも感じている。しかし、文化としての農を考えていたことは確かで(2011年1月のシンポジウムの記録より…)、資本主義的生産性といったその誤解はあったと思う。
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②研究会・食のワークショップにもとめるもの
岩間さん
「研究会に関して言うとさ、別にこっちから(ゲストの方へ)出向いたっていいわけでしょ!?
あるいは本当に内だけの勉強会にして、Webとかアーカイブに報告するとかもありじゃないかなって思う。」
ゲストの方へ出向くこと、内側の勉強会と外(公)に開くものとを分けて勉強会やレクチャーを組み立てていくことも、両方私は納得した。第一回研究会の記録にも書いたが、この研究会や勉強会といった機能についてはまだ手探りであるからだ。また、助成金(公のもの)を使うからこそ、利益を第一には考えなくても良いし、むしろそうした状況にあるからこその、なにか使命感がなくては!とも思った。(いずれは、自己資本(収入)も少しは持たなければならないとも思うが…)
岩間さん
「食のレクチャーに関しては、僕は矢口さんにどうしたいのかを聞きたい。」
矢口さんはまず、”食”というのがものすごく一般の人からすれば間口が広いというか、
実際に農作業をしよう!ということよりかはハードルが低いものであり、かつ農と非常に大きな関わりがあるもの、毎日の生活に密着した非常に重要なテーマと考えている。
ただ、岩間さんが言うようにただの料理教室にはしたくないので、ゲストの選定にはこだわっていると…。
これに対して岩間さんは、
「いや、もっと矢口さんにも主体性のようなものをもって欲しい。単にゲストとの窓口をするのではなくて… それと、もっとゲストと企画をもむということ(揺り動かす)も必要だと考えている。ゲストにもってこられたものをただやる、矢口さんが単に窓口になるだけより、『これはどうですか』『あれはどうですか』と、あーだこーだ言って、で、結果最初にもってこられたものになるかも分からないけど(笑)、僕はそういう進め方をしたい。その揺り動かすふれ幅は色々だけど…」
こうしたやりとりから、今後この半農半芸に何かしらのかたちで関わってくる人たち自身に、主体性を持たせたいという岩間さんの考えがわかった。
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③この数ヶ月動けなかった理由
「じゃあ岩間さんは何をするんですか?監視?今のところ、岩間さんに何もクリエイティビティを感じていないんですが…(笑)」と、私が岩間さんに早く動いて欲しいとメッセージを伝えると、
「うん。ちょっとこの5ヶ月は企画も決まってたし、ひっこんでいてもいいかななんて(笑)
(風間・矢口:ムッ!笑)いつもならね、すぐにでもGo出しちゃうんだけど、この放射能はね…どうしたものかと…」
土を扱うアーティストだからこそやはり放射能を前にはどうしても“すぐ”には動けなかったと。また、10年というスパンで見た時にどこから手をつけ始めようか、などもずっと考えていた。私や矢口さんは去年のこの時期から半農半芸を考え、なんとか動きたい、アーティストを呼んで動かしてもらおうと、そこに来た岩間さんの動きの見えなさがある種のストレスや誤解を生み出したものとみている。
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④全体を通した雰囲気
秋刀魚を焼き始めるや否や、モクモクと煙が立ちこめ戸惑い、鍋の方はみんなで野菜をちぎりつめながら、18時半開始のはずが19時を過ぎてしまい、最初のスタートも風間と岩間さんとの話が完全なるラジオBGM化してしまっていて不安はあったが、時間が経つにつれて徐々に安定し始めると「岩間さん・風間」と「客席」であったり、客席の中同士での会話などが誘発され、僕としては非常にいい会になったように思う。
半農半芸は問いであり答えであるが故に“可変的ビジョン”であるので、今後継続してメンバー内の考えの共有装置として三間会はあっていいのではないだろうか。
また、お酒やおいしいものを食べながらといった良い意味での緩さのある空間・時間であったからこそ仲間同士打ち解けた話ができたものと思う。
※三間・・・「時間」「空間」「人間(仲間)」の3つの“間”の字をとって三間という。