TAPの現在地 - ウィークエンド藝大食堂, 半農半芸 - 藝大食堂
終了しました 2021/06/10
藝大食堂に関わる人、活動を広げていくため、拠点と活動をひらいていくプロジェクト「ウィークエンド藝大食堂」。2020年度の活動のひとつの軸として、藝大で学ぶ学生から作品を公募、その制作過程を審査員、そして取手アートプロジェクトの事務局とともに、月に1度、画面越しに共有しています。
取手の公共的な空間で額縁をつくる過程を記録しようと考えている荒川さん。そして、取手を知る人たちのインタビューを進める田中さん。2人の過程を共同で記録する「きゅうり新聞」というメディアも立ち上がり、壁新聞という形式で取手駅構内での掲示が始まりました。
(これまでの様子)
2020/6/22 はじまりの打ち合わせ
2020/7/27 居場所をつくるメディア
羽原康恵
特定非営利活動法人取手アートプロジェクトオフィス事務局長。藝大食堂を立ち上げから担当。このプロジェクトの声掛け役。高校の恩師が卒業アルバムに書いてくれた、「大はしゃぎでたずさわらないことに何事も成功しないのだ!」をよく思い出します。
羽原
取手駅に掲示したきゅうり新聞の噂がザワザワしていて。昨日「きゅうり新聞で募集していた語り部は、まだ受け付けていますか?」って反応がありました。
毛利
取手市の人から?いいね。
小沢
貼った場所がいいからね。すごい。生きているんだ、あのメディア。
羽原
立ち止まって読んでいる人もいたりして。あまり見ない風景でした。次号も楽しみにされているようです。それじゃあ活動報告、いきましょうか。
荒川
はい。今日は、最近考えていることを。今はあまり書けない詩について。ここで話すのはちょっと恐る恐るなんですけど、話していきたいと思っています。正直作品の本題みたいなところにはまだ入っていけていなくて。自分がなにを大切にしているのかっていうことを最近は考えているので、共有しておくと、今後なにか発展してくかもしれないという意味も込めて。この頃考えていることをお話したいと思います。
毛利
今は書けない詩?
荒川
僕、高校生とか大学に入る前に働いていたころ、詩を書いたりすることがあったんです。現実が溶け合うみたいな詩を描いていて、それって一体何だったんだろうって、落ち着いて振り返ってみていて。
毛利
なるほど。
荒川
当時の僕が経験していた社会は、詩のような、世界の饒舌さみたいなものを意識する余裕なんてないような社会で。そのなかで自分を変容して生きようとしていたけれど、詩を書いた側の世界も悪くないし。自分がなにかをつくるときの力になっているんです。この力を実際に取手という場所を使って、絶妙な度合いで織り込んでいきたい。つくっていく作品は、そういうプロジェクトだと思っています。
小沢
今まで描いていた詩が資本であるっていうのは、すごく良いですね。
田中
あの、ちょっといいですか。けっこう僕は頭とか情報、ファクトで考えちゃうことが多くて。詩とかってすごくいいなと思うんですよね。きゅうり新聞も荒川さんと一緒にやれたから、いい発信になったと思うんです。荒川さんがそうやって深く考えてみたいという側に、僕もいたいなと思いました。
荒川
一緒にいる人や出会った人のことを考えてながらアウトプットしていった集積から、なにか表層的に、自分の態度みたいなものが現れてくるような。社会と自分のちょうどいいポイントみたいなものをきゅうり新聞の活動では試みていて。そこで変わった身体で、額縁をつくるみたいなサイクルができていったら、自分にとってやりがいがある気がしています。
毛利
詩を新聞に載せていくとかもありだよね。詩って文字情報で、書いた人とか、書いた人が置かれている状況や時代みたいなものを受け取れる、すごく良いツールだと思っていて。荒川さんの詩も、ある種そのときの荒川さんが憑依してくるみたいな。額縁のプロジェクトもそういうプロセスの話だと思っているから。
荒川
はい。
毛利
同時にコロナ渦で考えることが日々変わっていったりすることが、詩というフォーマットにはフィットしているような気がします。
小沢
過去の荒川くんがつくったものをベースにしたり、ジョ思いつきですけが、架空の詩人をつくってこのプロジェクトにフィットする詩をつくるのはどうだろう。ジョンと話し合って音を紡ぎ出してさ。そうすると、なにか動くような気もする。
毛利
きゅうり新聞も続いていくと思うんですけど、まだまだ小沢さんのなすび新聞に影響されている気がして。もっと君たちのきゅうり具合を、もっとオリジナリティを出してもいいんじゃないかって。
羽原
きゅうり具合。いいワードですね。さっき毛利さんがおっしゃっていた、詩を読んだときに誤解が生じる豊かさみたいなことがすごく可能性というか、今回荒川さんの詩を呼んでいて気づいて。すごく面白いなって。
毛利
私たちの想像を絶する、未だに会ったことのない国の人だっていっぱいいるわけだし。会ったことのない時代の人がいっぱいいる訳だから。自分の想像力でそれぞれを受け止めて、想像できるトリガーをつくるみたいな。
羽原
今、勝手に解釈していいものがすごく少なくなってきている気がしていて。
毛利
そうですね。解釈がいろいろあっていい。今はYouTuberが説明しすぎ。
田中
それがさっき話していた、僕の悩みですね。解釈が多くあっていいものをつくれるのか。説明しすぎのYouTuberみたいな方向に作品がいっていそうで、ちょっと心配ですね。
毛利
説明しすぎて抽象化させるっていうこともできるからね。
田中
試しにつくった作品がひとつあって。取手というか小文間について、江戸時代の小文間はこんな感じだったっていうのがわかってきたとき、落語の小噺をつくったんですよ。
小沢
いいね。
田中
そういう見せ方もあるかもと思って。荒川さんとのコラボレーションとして、そういうこともできたらおもしろそうだなと。
荒川
そうですね。これからジョンさんがインタビューするであろう人たちの話も聞いてみたいです。
田中
雨獅子という失われてしまった伝統があるんですけど、それを元に歌と踊りをつくったっていう藝大生が15年前くらいにいたみたいで。その人たちも取手の歴史とかすごく調べていたので、話を聞いてみようと思っているんです。一緒にどうですか。
荒川
はい、ありがとうございます。
毛利
ジョンはどういう方向でいくの?落語みたいに現実にのっとった世界をつくるとか。もしくは荒川くんとのコラボレーションに特化していくという方向もあるかもしれない。
田中
インタビューしている人たち全員となにかしらのコラボレーションをしたいとはずっと思っていて。その方々の話に出てきたものを展示させていただくとか。昔の人が、今だったらこういうことを言うかも知れないっていうのを創作してみたりとか。いろいろな人、それぞれのアウトプットが見たい、というところはあるかもしれないですね。コロナだと、そういう機会も少ない気がして。
羽原
ちょっとずつ涼しくなってきて、インタビューもしやすくなるかもしれないですね。次号のきゅうり新聞の構想も、ぜひお願いします。
9月につづく。
編集:中嶋希実
編集サポート:西山京花