半農半芸 - 藝大食堂, TAPの現在地 - ウィークエンド藝大食堂
終了しました 2021/06/01
藝大食堂に関わる人、活動を広げていくため、拠点と活動をひらいていくプロジェクト「ウィークエンド藝大食堂」。2020年度の活動のひとつの軸として、藝大で学ぶ学生との活動を試みるため、パートナーを探す学生公募を行いました。
新型コロナウィルスの流行によって、当初計画していたことを変えざるをえなくなった2020年。この状況下でどう作品を制作し、公開していくのか。公募で選ばれた学生2名と審査員、そして取手アートプロジェクトの事務局が月に1度、画面越しに集まり、進捗の共有を続けていくことになりました。
7月27日は2回目のミーティング。緊急事態宣言は解除されているものの、まだまだ自粛期間が続き、感染対策もまだまだ手探り状態のころ。それぞれやろうとしていることを共有した前回から、少しずつ動き出しているようです。
(これまでの様子)
2020/6/22 はじまりの打ち合わせ
羽原
みなさん、今日もおいそがしい中ありがとうございます。初回のミーティングからちょうど1ヶ月くらい経ったので、進捗を伺えればと思います。
田中
はい。引き続き、取手の歴史について調べることと、取手にいた人たちの証言を集めています。昨日、以前取手にいらした藝大卒業生の方にインタビューをしまして。Skypeで行ったのですが、これから高齢の方にお話を伺いたいとなったとき、どうしようか悩んでいるところではあります。自分は東京在住なので、今東京から取手に行っていいものかどうなのか。
毛利
理想的には、実際に会ってインタビューしたいってことですか。
田中
そうですね。藝大食堂でやれるのが一番いいなとは思っています。現時点ではできないとしても、今、ベストな方法はなんだろうということを模索している感じです。
小沢
大事なのはいかに情報を聞き出すか。キャンパスの中にこだわらず、たとえば河原や公園で、多少距離を持ってとかね。外でやるっていうことには、今、俺はすごく可能性を感じているんだけど。
毛利
この状況もちゃんと記録に残しておきたいよね。何十年かして、2020年当時の夏に取手でこんなインタビューの方法が行われていた、みたいな。昔のインタビューとか文献読んでると、そのときの時代背景が感じられるときがあったりするじゃない。
田中
はい、ありますね。
毛利
ポジティブに、できる方法を見つけていきたいよね。今って世界中で空間の使い方が見直されているなって。
田中
作品の発表の場といえば展覧会でいいやってなっていたところを見つめ直さざるを得ない状況ではありますよね。それを追い風にしてしまうっていうのは、たしかにおもしろいですね。
毛利
そこはコアな部分だから、ぜひ、気をつけながら進めていただきたいと思います。
田中
新聞や大学のアーカイブなど、リサーチのために見られるのものは見尽くした自負があって。ここからは人に聞くことだなと思っています。
小沢
リサーチの達人の有名な研究者にに聞いたことがありますが、直感でこの家になにかあるなと感じたらアポ無しで直撃して聞き込みや蔵の調査を依頼するそうです。この家なんかありそうだ、ピンポーンって訪ねていくっていう。
田中
地元の方の家に伺うっていうこともちょっと前にやってみました。そしたらすごい地権者の方だったようで、藝大の資料みたいなものがたくさん置いてあったんです。
毛利
おもしろいね。荒川さんはどんなことをしていた感じですか。
荒川
僕は機材が揃いましたので、GoProを帽子に取り付けてみたりしながら、最適なやり方を決めている感じです。
小沢
あれつけて歩いてると、ちょっと変な、というか不思議な人だよね。
毛利
今はYouTuberみたいな人とか、けっこうつけてる人多いけどね。だから結構ナチュラルに…ならないか。取手では。
荒川
主観的な映像を撮るための技術と、カットをつなぎ合わせるトランジションみたいなテクニックをちょっとずつ習得しようと思っていて。
毛利
撮影対象は前回おっしゃっていた、中身のないフレーム?
荒川
そうですね。それをつくっていく過程を映像にしようと。
小沢
最終的な額縁はとてつもなく素朴なものだけれど、最先端の映像と組み合わせるのがいいコントラストだね。
毛利
最初はもっと素朴なことをやろうとしているのかなって思っていたけど、インプットが作品にどう関係していくのか。こうやって月に1回話せることで、変化のプロセスを見れるのが楽しみですね。ジョンと一緒に取手を巡ったりもしているんだよね?その時間を介して、どう作品化していくのかっていうところが興味深いなと思います。
荒川
はい。藝大の周りを2人で軽く回りました。取手校地に土地を提供してくれたというおじいちゃんのところに伺って。そのおじいちゃんが描いた絵をみせていただきました。藝大生は、あそこに1度は行ったほうがいいと思います。
田中
僕もそう思ってます。
荒川
ヤギを飼ってたみたいですよ。平塚らいてうさんのヤギを預かっていたって。
毛利
え、そうなの?
田中
はい。ちなみに平塚らいてうのヤギの名前は「ゆきちゃん」だっていうことが最近わかりました。平成の初期に取手市長になった方が平塚らいてうと取手市に関する話を集めていたようで、インタビュー記事に記録があったんです。
小沢
記念碑とか石碑があったりしてもよさそうだね。
荒川
ジョンさんと一緒に歩いた時間を経て、実は、新聞をつくろうという話をしていまして。それぞれ作品をつくりながら、同時に、一緒に新聞をつくりながら過程を残していこうって話をしていて。
毛利
前回話していたことだ。ハイライトみたいなポスターをつくるって。
荒川
そうですね。今、タイトルだけ決まったんです。
毛利
なに?
荒川
きゅうり新聞にしようと思って。
毛利
急に?
荒川
きゅうりです。小沢先生が、なすび新聞をやってたと聞きまして。
小沢
やってましたよ。
田中
どういう新聞だったんですか?
小沢
いや、もう手書きで。ひどいもんですよ。即興でどんどん書いて、100部くらい発行して。
田中
語弊を恐れずに言うと、ひどさがすごいいいですよね。これは狙ってはできない。
小沢
ちゃんとすると継続できないと思って、無理のないことをやったんだよね。当時は大学出てすぐで、アート会は全然整備されていなくて自分の居場所は自分でつくらなきゃだめだと気がついたのです。なすび画廊という牛乳瓶受けのサイズのモバイル画廊を作り、その機関紙がなすび新聞でした。fax新聞でした。
毛利
大切な話ですね。自分の場所をつくるために、メディアをつくる。
小沢
そうそう。定期的に発信して。当時は打つより手書きのほうがはるかに早かったから。思い立って1時間以内に送れる。ロークオリティーな落書きのような新聞でしたね。
毛利
おもしろいと思う。メディアが溢れかえっている今、どう価値をつくるか。たとえばここに来ないと見れないとか、この時間しか読めないとか、限定的なルールをつくっちゃうとかね。臨場感を発明したらおもしろいかもしれない。
田中
小沢先生が今、なすび新聞を出すとしたら、どういう形で出していたと思いますか?
小沢
普通に考えたらネットに頼るのかもしれないけど……ありきたりな方法が我慢できず、誰もやってない方法を探すかもしれないね。
荒川
SNSがやっぱり難しいです。SNSってすごくはっきりとした文体で、すごく開示を求められている気がして。もっとふところのふかい言葉でもいいんじゃないかと思ったり。
毛利
わかるよ、すごく。私もインターネット上にどう出すかっていうことはけっこう慎重に考えるから。なんでもかんでも無料でわかると思うなよ、バカ!って感じで。あ、バカとか言っちゃいけないですよ、人に。
田中
なんて言うのかな。荒川さんの話を聞いていると、そういう発信の仕方に対する意思表示になるツールでもいいんじゃないかなって。
毛利
私、「バカ」って言葉が好きなんだけど。SNSで文字で流れちゃうと炎上するみたいな感じあるじゃん。だけど友達同士で「バカ」って話すときってさ、好きだよっていうニュアンスも含んでいたりするじゃない。そのニュアンスみたいなところが含められるメディアになったらおもしろいですよね。
羽原
おもしろいですね。文字通りじゃないとこも含むメディア。
具体的にどう活動されていくかは、荒川さんとジョンさんで計画を立てていけたらいいのかなって。
田中
あとですね、きゅうり新聞の「キュウリ」をちょっともじってみて、9里って35kmくらいなんですって。取手市をぐるっと囲む四角形をつくってみたら、ちょうど35kmくらいなんです。そう考えてみたら、藝大食堂を飛び出して活動していることもつながるなと思って、忘れないように共有しておきます。
8月につづく。
編集:中嶋希実
編集サポート:西山京花